孔子祭に酔いしれて(by kakusanさん)
27日(土)の12時半から13時半まで孔子廟が入場無料となっていたので、数年ぶりに行って見た。まず東山手の町並み保存センターに寄った。女優がよく映画で立ち寄った風景写真があるところだ。居留地時代の面影を残している。当時は領事館の丘と呼ばれていた。石畳、石垣、煉瓦塀などの歴史的な雰囲気がある。地球館があり毎日日替わりで世界各国の方が自国の家庭料理を作ってランチとして提供している。750円である。今日はベトナム料理だった。すぐ近くの孔子廟に入った。1時から孔子生誕2559周年の典礼があった。中国式で中国語説明があった。儀式後に中国の獅子舞が2匹でて舞った。観客が口にくわえられると一年幸せが来るそうだ。その後は竜踊りだった。歴史資料館にも入った。歴史的な茶器が陳列してあった。2時間半はいたので昼食を食べ損ねた。「よこはま」の中華店に入った。有名人が訪れるところだ。久しぶりに入った。孔子祭式次第は入り口でもらったパンフレットに次のように書いてある。「維」は中国語で書いてありそれを読んでいる。目で追って大体ついていけるようになった。勉強の成果か。様子は廟の中庭に孔子の御霊を迎え、礼服を着けた行列が霊を本殿に迎え入れ、祭りが進行する。祭りは、白絹を正面に、羊一頭・牛一頭・豚一頭を中心に左右に山海の珍味を盛り上げて供えます。そのお供え図もパンフレットに書いてある。かなり詳しいのだが省く。
1. 式の始まり
2. 開始の太鼓
3. 二番目の太鼓
4. 三番目の太鼓
5. 就位
6. 開門
7. いけにえをささげる
8. お迎へ
9. 拝礼
10. おそなえ
11. お線香あげ
12. 献酒
13. 祝詞奉上
14. 二回目の献酒
15. 三回目の献酒
16. おさがり受け
17. おそなえを下げる
18. お送り
19. 拝礼
20. おそなえのお送り
21. 目で送る
22. 復位
23. 閉門
24. おわり
【旅行時期】2008/09/27~2008/09/27
【エリア】
長崎
【テーマ】
【投稿者】
kakusan
我未だ而立せず(by のださん)
子曰く、三十にして立ち、四十にして惑わず。
私は三十を超えていますが、未だ何一つ成しえていません。
今まで何をやってきたんだ、という感じです。
これからも何かを成すということはないでしょう。
こんな私が四十にして惑わないためにはどうすればよいのか?
今日答えが見つかるかもしれない。
いや、多分無理だな。
毎年4月の第4日曜日は孔子祭ということで、本日見学に行きます。
場所は湯島聖堂です。
儒学に傾倒した綱吉が建立したそうですが、あの悪名高い生類憐みの令も、儒教の影響が大きいのでしょうね。
綱吉の時代に赤穂浪士が切腹するわけですが、切腹させるように説いたのが、儒学者であり、柳沢吉保に仕えた荻生徂徠だということです。
結果徂徠の案が採択されますが、この案にも儒教の影響があるのでしょう、多分。
徂徠は古文辞学を確立させましたが、同時代に活躍した新井白石は、朱子学派と言って、宋代の朱熹(朱子)の体系に傾倒しています。
他にも伊藤仁斎の古義学などがあります。
湯島聖堂で教えられていた学問の根本は朱子学ということです。
日本仏教は、日本に伝来してから神道や儒教と混じり合って独自の宗教として確立しましたが、位牌なども、仏教のオリジナルではなく、元々は儒教から来ているということです。
論語は20編から成っており、各編のタイトルは、文章の冒頭から来ています。
「学而時習之」(学びて時にこれを習う)から学而第一、「述而不作」(述べて作らず)から述而第七、というように。
「子罕言利」(子罕に利を言う、子はめったに利益について語られなかった)から子罕第九と呼ばれます。
湯島聖堂のサイトは、斯文会という団体が運営しており、これは子罕第九の中に出てくる「斯文」(斯の文、この文化)に由来する名前です。
ちなみに、為政第二「三十而立」(三十にして立つ)から、三十歳の別名を「而立」と言います。
有名な「温故而知新」(故きを温めて新しきを知る)も為政第二の中ですね。
儒教では親が死んだら3年喪に服するということですが、これは陽貨第十七で、子どもは生まれてから3年経って親の懐から離れるから、親が死んだら3年は喪に服する必要がある、と言っているからだと思われます。
皆さんにとっては至極どうでもいい話ですが、私の中で特に印象に残ったのは、中国史上最高の宰相の一人で、あの諸葛亮も生意気にも自らを並べんと願った、「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」という名台詞を残したあの管仲様に対して、八イツ第三で「管仲の器はちっちぇーな、へっ☆」と断言していることです(「子曰管仲之器小哉」、子曰く管仲の器は小なるかな)!
もちろんその発言の根拠はありますが、これは私には衝撃でしたね。
しかし憲問第十四では、逆に管仲を褒め称えています。
いや、だからどうした、ということもなく。
「論語読みの論語知らず」という言葉がありますが、私などはまさにその典型でしょうね。