ホテルいけだ

〒850-0036 長崎県長崎市五島町6−23

ホテルいけだ
↑施設の外観


交通手段:JR長崎本線長崎駅→徒歩約5分
値段:4725~7665円

ホテルいけだ


ホテルいけだ画像1 ホテルいけだ画像2 ホテルいけだ画像3

ホテル長崎

〒850-0007 長崎県長崎市立山2−16−1

ホテル長崎
↑施設の外観


交通手段:長崎空港→リムジンバス長崎空港から長崎下車→バス立山・浜平行き約20分立山下車→徒歩約1分
値段:8400~16800円

ホテル長崎


ホテル長崎画像1 ホテル長崎画像2 ホテル長崎画像3

ホリデイ・イン長崎

〒850-0841 長崎県長崎市銅座町6−24

ホリデイ・イン長崎
↑施設の外観


交通手段:長崎空港→リムジンバス長崎空港から長崎駅前行き約35分長崎新地ターミナル下車→徒歩約5分
値段:3700~24255円

ホリデイ・イン長崎


ホリデイ・イン長崎画像1 ホリデイ・イン長崎画像2 ホリデイ・イン長崎画像3

ホテルサンルート長崎

〒850-0035 長崎県長崎市元船町9−2

ホテルサンルート長崎


交通手段:長崎(大村)空港→高速バス長崎(大村)空港から約40分大波止バス停下車→徒歩約2分
値段:7507~9030円

ホテルサンルート長崎


ホテルサンルート長崎画像1 ホテルサンルート長崎画像2 ホテルサンルート長崎画像3

矢太樓

〒850-0803 長崎県長崎市風頭町2−1

矢太樓
↑施設の外観


交通手段:JR長崎本線長崎駅〜長崎バス長崎駅乗車(風頭山)行き(約20分)風頭駅下車〜徒歩(約1分)
値段:7350~18900円

矢太樓


矢太樓画像1 矢太樓画像2 矢太樓画像3

ホテルJALシティ長崎

〒850-0842 長崎県長崎市新地町13−10

ホテルJALシティ長崎
↑施設の外観


交通手段:JR長崎本線長崎駅→徒歩約25分またはタクシー約5分
値段:4200~16800円

ホテルJALシティ長崎


ホテルJALシティ長崎画像1 ホテルJALシティ長崎画像2 ホテルJALシティ長崎画像3

長崎ホテル清風

〒852-8005 長崎県長崎市大鳥町523

長崎ホテル清風
↑施設の外観


交通手段:JR長崎本線長崎駅→バスシンフォニー稲佐の森行き約15分水の浦高部下車→徒歩約0分
値段:5300~32550円

長崎ホテル清風


長崎ホテル清風画像1 長崎ホテル清風画像2 長崎ホテル清風画像3

ホテルモントレ長崎

〒850-0918 長崎県長崎市大浦町1−22

ホテルモントレ長崎
↑施設の外観


交通手段:長崎空港→リムジンバス長崎バス長崎空港から長崎駅行き約35分新地ターミナル下車→徒歩約7分
値段:5500~16170円

ホテルモントレ長崎


ホテルモントレ長崎画像1 ホテルモントレ長崎画像2 ホテルモントレ長崎画像3

ホテルマジェスティック

〒850-0931 長崎県長崎市南山手町2−28

ホテルマジェスティック
↑施設の外観


交通手段:長崎空港→リムジンバス長崎空港から長崎駅前行き約35分長崎新地バスターミナ下車→私鉄築町駅から石橋行き約5分大浦天主堂下駅下車→徒歩約3分
値段:6300~23310円

ホテルマジェスティック


ホテルマジェスティック画像1 ホテルマジェスティック画像2 ホテルマジェスティック画像3

ミナトパーク長崎

〒850-0842 長崎県長崎市新地町8−16

ミナトパーク長崎
↑施設の外観


交通手段:JR長崎本線長崎駅〜私鉄長崎駅前電停駅乗車(正覚寺)行き築町電停駅下車〜徒歩(約3分)
値段:6825~10500円

ミナトパーク長崎


ミナトパーク長崎画像1 ミナトパーク長崎画像2 ミナトパーク長崎画像3

孔子祭旅行記

孔子祭に酔いしれて(by kakusanさん)

孔子祭
27日(土)の12時半から13時半まで孔子廟が入場無料となっていたので、数年ぶりに行って見た。まず東山手の町並み保存センターに寄った。女優がよく映画で立ち寄った風景写真があるところだ。居留地時代の面影を残している。当時は領事館の丘と呼ばれていた。石畳、石垣、煉瓦塀などの歴史的な雰囲気がある。地球館があり毎日日替わりで世界各国の方が自国の家庭料理を作ってランチとして提供している。750円である。今日はベトナム料理だった。すぐ近くの孔子廟に入った。1時から孔子生誕2559周年の典礼があった。中国式で中国語説明があった。儀式後に中国の獅子舞が2匹でて舞った。観客が口にくわえられると一年幸せが来るそうだ。その後は竜踊りだった。歴史資料館にも入った。歴史的な茶器が陳列してあった。2時間半はいたので昼食を食べ損ねた。「よこはま」の中華店に入った。有名人が訪れるところだ。久しぶりに入った。孔子祭式次第は入り口でもらったパンフレットに次のように書いてある。「維」は中国語で書いてありそれを読んでいる。目で追って大体ついていけるようになった。勉強の成果か。様子は廟の中庭に孔子の御霊を迎え、礼服を着けた行列が霊を本殿に迎え入れ、祭りが進行する。祭りは、白絹を正面に、羊一頭・牛一頭・豚一頭を中心に左右に山海の珍味を盛り上げて供えます。そのお供え図もパンフレットに書いてある。かなり詳しいのだが省く。

1. 式の始まり
2. 開始の太鼓
3. 二番目の太鼓
4. 三番目の太鼓
5. 就位
6. 開門
7. いけにえをささげる
8. お迎へ
9. 拝礼
10. おそなえ
11. お線香あげ
12. 献酒
13. 祝詞奉上
14. 二回目の献酒
15. 三回目の献酒
16. おさがり受け
17. おそなえを下げる
18. お送り
19. 拝礼
20. おそなえのお送り
21. 目で送る
22. 復位
23. 閉門
24. おわり


【旅行時期】2008/09/27~2008/09/27
【エリア】長崎
【テーマ】
【投稿者】kakusan

我未だ而立せず(by のださん)

孔子祭
子曰く、三十にして立ち、四十にして惑わず。
私は三十を超えていますが、未だ何一つ成しえていません。
今まで何をやってきたんだ、という感じです。
これからも何かを成すということはないでしょう。
こんな私が四十にして惑わないためにはどうすればよいのか?
今日答えが見つかるかもしれない。
いや、多分無理だな。

毎年4月の第4日曜日は孔子祭ということで、本日見学に行きます。
場所は湯島聖堂です。
儒学に傾倒した綱吉が建立したそうですが、あの悪名高い生類憐みの令も、儒教の影響が大きいのでしょうね。
綱吉の時代に赤穂浪士が切腹するわけですが、切腹させるように説いたのが、儒学者であり、柳沢吉保に仕えた荻生徂徠だということです。
結果徂徠の案が採択されますが、この案にも儒教の影響があるのでしょう、多分。
徂徠は古文辞学を確立させましたが、同時代に活躍した新井白石は、朱子学派と言って、宋代の朱熹(朱子)の体系に傾倒しています。
他にも伊藤仁斎の古義学などがあります。
湯島聖堂で教えられていた学問の根本は朱子学ということです。
日本仏教は、日本に伝来してから神道や儒教と混じり合って独自の宗教として確立しましたが、位牌なども、仏教のオリジナルではなく、元々は儒教から来ているということです。

論語は20編から成っており、各編のタイトルは、文章の冒頭から来ています。
「学而時習之」(学びて時にこれを習う)から学而第一、「述而不作」(述べて作らず)から述而第七、というように。
「子罕言利」(子罕に利を言う、子はめったに利益について語られなかった)から子罕第九と呼ばれます。
湯島聖堂のサイトは、斯文会という団体が運営しており、これは子罕第九の中に出てくる「斯文」(斯の文、この文化)に由来する名前です。
ちなみに、為政第二「三十而立」(三十にして立つ)から、三十歳の別名を「而立」と言います。
有名な「温故而知新」(故きを温めて新しきを知る)も為政第二の中ですね。
儒教では親が死んだら3年喪に服するということですが、これは陽貨第十七で、子どもは生まれてから3年経って親の懐から離れるから、親が死んだら3年は喪に服する必要がある、と言っているからだと思われます。

皆さんにとっては至極どうでもいい話ですが、私の中で特に印象に残ったのは、中国史上最高の宰相の一人で、あの諸葛亮も生意気にも自らを並べんと願った、「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」という名台詞を残したあの管仲様に対して、八イツ第三で「管仲の器はちっちぇーな、へっ☆」と断言していることです(「子曰管仲之器小哉」、子曰く管仲の器は小なるかな)!
もちろんその発言の根拠はありますが、これは私には衝撃でしたね。
しかし憲問第十四では、逆に管仲を褒め称えています。

いや、だからどうした、ということもなく。
「論語読みの論語知らず」という言葉がありますが、私などはまさにその典型でしょうね。

【旅行時期】2007/04/22~2007/04/22
【エリア】神田・秋葉原・御茶ノ水
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】のだ

孔子祭画像


孔子祭の画像