対馬グランドホテル

〒817-0322 長崎県対馬市美津島町鶏知甲41−10

対馬グランドホテル
↑施設の外観


交通手段:対馬空港→バス対馬空港から厳原行き約7分高浜下車→徒歩約10分
値段:11550~19950円

対馬グランドホテル


対馬グランドホテル画像1 対馬グランドホテル画像2 対馬グランドホテル画像3

ホテル対馬

〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷765

ホテル対馬
↑施設の外観


交通手段:対馬空港→タクシー約20分
値段:7210~21735円

ホテル対馬


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浅茅湾旅行記

壱岐・対馬の旅(by 早島 潮さん)

浅茅湾
2004年11月28日〜11月30日まで壱岐・対馬の旅に出かけてきた。壱岐では元寇の役で討ち死にした少弐資時を祀る壱岐神社、左京鼻、はらぼけ地蔵、猿岩、砲台跡、いるかパーク、岳の辻展望台、焼酎工場、雲丹工場を駆け足で廻った。

 意外であったのは壱岐の島は長崎県下で諫早に次いで二番目の農地を持つ米所であり、麦焼酎の発祥の地だということであった。対馬が山また山の連なる男性的な島であるのに対して、壱岐は山も低く女性的な島であったこと。魏志倭人伝にも一支国と記載されている古くから歴史に登場する大陸との交易の中継基地でもあったこと。また元寇の役では島民が沢山殺戮された悲しい歴史を持っていること。

 島内各所にある入り組んだ漁港には海の幸が豊富に水揚げされること。そして何よりも美しい自然が残っていることなど期待以上に旅情をそそられる良い島であった。


 壱岐の郷の浦港からジェットフォイル船で対馬の厳原港まで約1時間の距離であるが、この船はなんと時速80?の高速船である。対馬も壱岐同様、長崎県下の島であるが、どちらかといえば福岡県との結びつきが強い。船便は何れも福岡の博多港と結ばれ、空の便も対馬と長崎間が一日2往復であるのに対して、対馬と福岡間は一日5往復である。県外からの旅行者にとっては何故長崎県に所属していなければならないのかとの疑問が起きる。

 対馬では万関橋、和多都美神社、烏帽子岳公園、韓国展望所、上見坂公園、小茂田浜・元寇史跡、椎根の石屋根を駆けめぐった。







 対馬は魏志倭人伝にも「土地山険にして深林多く、道路は禽鹿(きんろく)の径(けい)の如(ごと)し。千余戸あり。良田無く、海物を食して自活し……」と活写されている如く山の連なっている島でその90%以上が山地という地形であるから、トンネルが多い島である。それだけに自然環境がよく保存されていて動植物の宝庫ともなっている


 対馬はもともと占部の阿比留氏が在庁官人として支配していたのを鎌倉時代以降、宗氏がこれを追い爾来宗氏の領国となった。

 宗とは朝鮮渡来の帰化人かなと思っていたが、これは認識違いであった。鎌倉時代の武士で惟宗氏を宗と略したもののようである。対馬宗氏の祖は平知盛の遺裔ともいわれる宗知宗とされ、対馬守護太宰少弐氏の守護代を勤めていた時、その意に従わない在地官人の阿比留氏を追ったのである。

 元寇の役では身を挺して防戦にあたり、文禄・慶長の役でも先陣を務め、秀吉から一万石を得ている。関が原の戦いでは豊臣方についたが、江戸幕府の朝鮮との国交回復に奔走し、1609年朝鮮王光海君との間に通商貿易上の諸規定を定めた慶長約定の締結に成功した。爾来江戸時代を通じて朝鮮貿易を独占した。また幕府から朝鮮通信使の接待役を命じられ、対馬藩主として10万石の格式を与えられた。
そして現在対馬には宗という姓の人は住んでおらず、宗氏の当主は現在柏市で開業医を営んでいるということである。逆に阿比留氏は沢山住んでいるということである。また「一」という姓があってこれを「にのまえ」と読ませているという。


「一」という珍名が対馬の姓だとは知らなかったが、ガイドが珍名を幾つか教えてくれたので記しておきたい。「九」を「とおちか」「十二月三十一日」を「としのおわり」と読ませる姓があるという。筆者の知っている名では「八」を「わかつ」というのがあったが苗字としてあるかどうかは知らない。


 かつがれているのではないかと思いウエッブで検索してみると「一」と「十二月三十一日」はどうも実在の姓らしい。                

 ところで阿比留という姓も対馬独特の苗字であるが、調べてみると「阿比留文字」というのがあってこれは「神代文字」の一種であり、朝鮮のハングルの元祖になっているらしいという説があるのを知った。大陸との交流が古くからあった島だけに文化的にも研究すれば面白い材料は沢山ありそうである。     


 対馬の旅では烏帽子岳から俯瞰した浅茅湾の光景は印象的であった。360度展望できるヴュ−ポイントからの展望は瀬戸大橋が掛けられる前の鷲羽山からの俯瞰とイメージが重なった。

 今まで見た光景の中でもこの景観は筆者の頭の中では一、二を争う程の素晴らしさであったと思う。下に示すのは対馬の観光案内から戴いた烏帽子岳から俯瞰した浅茅湾の写真である。

 筆者のイメージの中にある鷲羽山から俯瞰した瀬戸内海の光景は瀬戸大橋のために壊されてしまっていた。瀬戸大橋が出来る前の写真を見つけたので掲げておこう。実際に写真で比較してみると浅茅湾と瀬戸内海では随分異なっているが、海面に島々が浮かびどこまでものどかな雰囲気は筆者には共通性のあるイメージなのである。


 対馬の郷原町を歩いていて感心したことがある。町中の道路は日本のどこの道路にもあるような道路標識があって横断歩道には縞模様の白い線が引かれている。小学生が二、三人この横断歩道を横切った。横切る前に彼等は歩行者が通りすぎるのを待って止まっている車に向かってお辞儀をした。そして渡り終わると道路の方を振り返って、再びお辞儀をしたのである。このような光景を数回目撃したのでガイドに聞いてみると、対馬の小学校では礼節ということを重視して、人から受けた好意に対しては感謝の気持ちを形で示しなさいという教育をしているらしい。

 自分達が安全に横断歩道を渡ることができたのは運転手が自分達のために車を止めて待機してくれたからであり、そのことに対して感謝の意を込めて、渡りおえてから再び振り返ってお辞儀をしたのである。一寸した行為であるが旅人の目には新鮮でほのぼのとしたものを感じさせる良い光景であった。

 また郷原町の目抜き通りの両側に建つ街灯には宗家の家紋が二つ、印されておりこの島の領主であった宗氏に対して今でも敬意を表している。学校でもこの家紋を校章に採り入れている学校があるという。よき伝統や習慣を守ろうとする町の人々の心が子供達のお辞儀にも現れているのかなと思った。

注 保存しておいた写真のファイルを間違って消去してしまったらしく、掲示できる写真のないのが残念である。

【旅行時期】2004/11/28~2004/11/30
【エリア】長崎県
【テーマ】
【投稿者】早島 潮

浅茅湾とは?

浅茅湾(あそうわん)は、長崎県対馬市、対馬島の上島と下島の間、西側にあるリアス式海岸に囲まれた湾である。浅海湾とも表記する。
前述のように、沈降によってできたリアス式海岸が発達しており、多くの入り江と小島をもつ。特に湾の中央部にある島山島は対馬の属島の中でも最大のものである。湾口は西を向いており、大口瀬戸という。また、南東部には万関瀬戸と大船越瀬戸の二つの運河があり、それぞれ対馬東部海域に繋がっている。
対馬島内の佐護川 (長崎県) 佐護川、仁田川 (長崎県) 仁田川、飼所川 (長崎県) 飼所川、三根川 (長崎県) 三根川など主要な河川はすべて旧上県郡の西岸に注いでおり、この湾に注ぐ一級河川、二級河川はない。
湾内は養殖漁業が行われており、特に真珠の養殖地として有名。2000年代前半ごろからは対馬近海産のヨコワ(クロマグロの幼魚)を使ったクロマグロの蓄養も行われている。

浅茅湾の詳細